1. HOME
  2. ラウンジ

ヨコハマアートサイトラウンジvol.28
イギリスの歴史から見える社会的排除と現在の日本【インタビュー記事】

今年度のヨコハマアートサイトラウンジは、コロナ禍への対応として事務局がインタビューを行い、ウェブサイトで発信をしています。

ヨコハマアートサイトラウンジvol.28「イギリスの歴史から見える社会的排除と現在の日本」

横山千晶さん(居場所「カドベヤで過ごす火曜日」運営委員会)
現在慶應義塾大学法学部教授。毎週火曜日にスペース「カドベヤ」にてワークショップと食事を共にする活動「カドベヤで過ごす火曜日」主催。地元の住民、地元で働く人たちや学生など、あらゆるバックグラウンドの人々の居場所づくりを目指している。

イギリスの構造的差別とアート

―――コロナ禍、今年のカドベヤの運営はどうでしたか。
 去年最初の緊急事態宣言下では、居場所であるカドベヤを閉めていました。そんな中、ひきこもり経験者の青年がメールで「再開するときは、僕が料理を担当したい」といってくれて、そこから今年の活動が本格的に始まった気がします。
 身体のワークショップを開始できたのは10月からでした。身体コミュニケーションとは存在を確かめるということだと思うので、動かなくても一緒にいることで生まれるものがある。距離を取ってもできることを模索しました。

―――横山さんは、19世紀のイギリス文化の研究者です。研究対象が、現代の日本と重なるところも多かったのではないですか。
 産業革命に伴い都市集中型になり、公衆衛生にも問題が出てくる。都市化とともに、さまざまな疫病が一気に押し寄せた時期でもあります。失敗を重ねながらもそんな状況を乗り越えていったイギリスの過去から学べることはたくさんあると思います。
 そんな新しい社会構造の中で当時のエッセンシャルワーカー、つまり中流階級以上の生活を支えた労働者たちが犠牲になったのは間違いありません。特に本国の飢饉から逃れてきたアイルランド移民や東欧からのユダヤ人移民が劣悪な環境の中で搾取されました。生き抜くために労働者たちは友愛組合や協同組合などの団体を作り、相互扶助の仕組みも作りました。それまであった教会の互助の仕組みでは、移民を支えきれなかったのです。機械化や疫病が機会となり、それまで見えなかった社会問題が引き出される点は、新型コロナウィルスの感染拡大で現代の社会問題が見えてくるのと似ていますね。

―――コロナ禍と同時に、黒人への構造的な人種差別の撤廃を訴えるBLM(Black Lives Matter)運動も世界的に大きな話題になりました。
 BLM運動はイギリスでも大きな運動となり、植民地の政治家セシル・ローズの銅像が取り外されたり、ブリストルで慈善事業を展開した奴隷貿易商エドワード・コルストンの名を冠した音楽ホールの名称が変更されたりしました。イギリスの歴史とは何かがあらためて問われることになったのです。私のイギリスの友人たちに聞いても、今まで帝国主義の歴史や植民地政策は学校で学んでこなかったという人がほとんどなんですよ。
 イギリスは多様性の国です。ロック・バンド、クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの両親はインドのパールシーです。現在のロンドン市長はパキスタン系のムスリム。財務大臣もインド人の祖父を持つ移民3世です。植民地の歴史が今のイギリスを作っているんですね。
 そしてイギリスは第二次世界大戦のあと、不足した労働力を補うために英領のカリブ海地域からウィンドラッシュ号という船で多くの移民を受け入れました。しかし、その子供たちは親のパスポートで来ていたために、自分のパスポートや身分証明書がありません。2010年になって不法移民の取り締まりが激しくなると、職を失ったり、国民保健サービスから除外されたり、はては国外退去の憂き目にあったりしたのです(2018年、公式謝罪)。

ストリートアートと社会的排除

―――こういった状況下で、アートはどのような役割を果たせるのでしょう。
 2020年5月に著名なストリート・アーティストのバンクシーがサウサンプトン総合病院に《ゲーム・チェンジャー》という絵画を送りました。白人の男の子が人形で遊んでいる絵ですが、今までのヒーローの人形はゴミ箱に捨てられ、今のお気に入りは、女性かつ有色人種の看護師の人形です。ただ、この絵には、どうせこの新しいおもちゃもそのうち捨てるだろう、という含意があるように思います。国民保健サービス(NHS)傘下の病院で働いている医療従事者の国籍は現在200ケ国にも及びます。多くは旧植民地から来た人々です。コロナ禍で最初に犠牲になったのは、こういった旧植民地から来た人たちです。バンクシーの風刺はその点にあるのですね。この絵は3月23日にオークションにかけられることになっており、その収益をNHSに全額寄付すると表明するなど、アーティストたちもコミュニティの問題にみんなの目を向けようとしています。

―――社会的排除にどうやって抵抗するかの模索が続いているように見えます。
 貧窮者支援の拠点、トインビー・ホールの芸術教育の拠点として1901年に開いたホワイトチャペル・ギャラリーは、ロンドン自治区にある公営アート・ギャラリーとして活動を続けています。この界隈は昔から移民のまちで、東欧のユダヤ系の人たちが支援団体を作り、若者を育てるという気風もありました。多様性を受け入れてきた場所なのです。ピカソの《ゲルニカ》が1938年にイギリスで最初に展示されたのもこのギャラリーでした。同時にトインビー・ホールのあるイースト・ロンドンは今ではストリート・アートの町としても有名です。2012年のオリンピックの際にはこの界隈の再開発に反対したストリート・アートも描かれ、区議会に塗りつぶされるというせめぎあいもありました。アートは社会的排除に抵抗し、コミュニティを巻き込むツールなんですね。

―――パブリック(公共性)とは何かを考え続ける必要もあります。
 パブリック、とは行政の傘下にある、ということではなく、外からより良くすることだと思います。行政からお金をもらってるから何も言えないのはおかしい。「反対意見も言いますよ」という態度こそ、真の公共性です。そこから話し合いの場を設けること。それこそ、開かれた創造的なパブリックにつながるのではないでしょうか。

 

取材・編集=ヨコハマアートサイト事務局

ラウンジ一覧に戻る