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ヨコハマアートサイトラウンジvol.27
半径2キロから見える世界【インタビュー記事】

今年度のヨコハマアートサイトラウンジは、コロナ禍への対応として事務局がインタビューを行い、ウェブサイトで発信をしています。

ヨコハマアートサイトラウンジvol.27「半径2キロから見える世界」

藤井本子さん(「街のはなし」実行委員会)
美しが丘中部自治会アセス委員・街のはなし実行委員・100段階段PJ代表。ヨコハマアートサイト2020採択事業「街のはなし」では、アーティストの谷山恭子と共に、公開形式で開催するインタビューで答えにあがった場所の緯度経度の座標を調べ、その場所にまつわる個人的な思い出を冊子として発行する活動を行っている。

自治会活動の先にあったアート

―――「街のはなし」実行委員会に関わっている藤井さんの専門分野と来歴を教えてください。
 私は専業主婦でたいした特技もなく、ぼーっと生きてます(笑)。1979年にたまプラーザに越してきてから、すぐ自治会に関わることになりました。
 私が属している美しが丘の中部自治会は、日本で初めて住民が建築協定を作ったんです。建築協定って普通はデベロッパーが固まった地区にかけるのですが、ここでは住民が自分たちの環境を守るため、自分たちの約束ごととして作り、1972年から2003年まで30年以上継続しました。当時の私はまちづくりは行政がやることだと思っていたので、まちは住んでる人が作るんだということがショックでした。
 みんなの合意を取るって、大変。でも取れるまでやるんです。約1000世帯のうち20人くらいが委員会で話し合うのですが、建築や土木関係者や、法律に詳しい方がいる。私は何でそこに参加しているかっていうと、住んでいる住民の意見を言うため。だって昼間ずっと家にいる人の意見って、すごく大事でしょう。
 2003年から地区計画制度として法律の網がかけられるようになり、私も関わり、アセス委員長を5年ほど務めました。行政とのやりとりでもプロフェッショナルだと「自分は理解できない」ってなかなか言えない。私だったら「すいません。それってどういう意味ですか」って言っても不思議じゃない(笑)。今までのように人とのつながりだけに頼る方向ではなくなった時点で、あらためて私は何をしていこうか考えました。特別な能力はないので、まちづくりのスピリットを若い人たちに残していくことしかできない。だから外から来た若いアーティストと街の人たちをつなぐとか、街を守り育ててきた先輩と、これからこのまちで生きていく若い人たちをつなぐとか、間に立つことを私はしていこう、まちに対する恩返しをしようと考えたんです。美しが丘に育ててもらったから。

―――藤井さんとアートとの関わりは、いつごろから始まったのですか。
 2000年のことです。レストランにご飯を食べに行ったら、世田谷美術館の社会人講座の募集があって参加しました。めっちゃ面白くて。写真の撮り方を教える講座のことはよく憶えています。写真を撮るときに気をつけることは、まず四隅を確認すること。ヨシ!ってなったら一歩前に出ること、って教わったんです。余計なものが入っていない構図を作り被写体に寄る。カメラに触ったのは生まれて初めてだったんですが、あれから写真を続けています。人を撮るのが好きなんですよ。
 それまで自分はアートといったらファインアートだと思っていたんですね。でもそうじゃなく、生活がアートなんだと思うようになりました。いまの自分っていうのは、自分の作品だって。これまでの経験、読んできたものや食べてきたもので自分ができ上がっている。これから先を生きていく上で毎日の積み重ねが私を作っていくんだと。自分を作っていく、人が生きることがアートなのかなって、ある意味曲解したんです(笑)。

後ろ向きにボートを漕ぐ

―――ヨコハマアートサイトにも参加していた団体・AOBA+ARTの活動では、地域住民とアーティストをつなぐ役割をしていましたね。
 最初は「あんまりみんなに迷惑かけないでよね」という気持ちもあったんですが、地域からは「これのどこがアートなんだ」といわれるわけ。うーん…って私も説明に困る。でも若い人たちが一生懸命だから、やらせてください」と説得しながら、私も青葉食堂という作品で、おでんを作ったりして。
 7年くらい続けたのかな。最後の年にね「AOBA+ARTのメンバーがやりたいといったことに、私は一度も反対せず地域に頭を下げて来たよ。でも最後は『AOBA+ARTがこのまちで活動してくれて良かった』と住んでる人に思われるようなことを企画して」とお願いしたんです。
 そこで生まれたのが階段や遊歩道を使う企画。まちにある100段階段にカラーガムテープを貼って階段アートを作ったんですよ。そこは通学路だから、小学生が喜んでくれて「卒業制作で階段アートやりたいから教えてください」って電話がかかってきました。最後には、学校の中に階段アートができて、アーティストも感謝状をもらったりして。うれしくってねえ。最後にみんなに認めてもらって、アートを使ったまちづくりは、あっていいんだなという気がしました。

―――「美しが丘100段階段プロジェクト」は、まちづくりの大型助成・ヨコハマ市民まち普請事業にもなり、活動は現在も続いています。
 子どもたち、子育て世代をまちに巻き込みたかったんです。「!」っていうモノを発見すると興味をもってもらえるじゃないですか。子どもたちとペンキ塗りしててもすぐ飽きる。でも若いお父さんやお母さんは、子どもなんかそっちのけでずっと塗ってるの。
 湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく、って言葉があります。目的地に向かって背中を向けて漕いでいくことは、過去を見すえることです。私たちが楽しく暮らしていられるのは、このまちをつくった先輩たちからの贈り物です。お年寄りにとって「街のはなし」は過去と再会する場所だし、小・中学生にとっては、新しい発見の場所ですよね、きっと。50年後、こうやって今の自分たちがいるんだということに思いをいたすきっかけになるようなものが残せたらいいと思うんです。
 私は、半径2キロの世界で生活している人間です。視点が狭いと思う人もいるかもしれないけど、この範囲をものすごくよく知ってる人って、実はそんなにいないんですよね。私もまた勉強して、まちとの関わりを深めたいです。

 

取材・編集=ヨコハマアートサイト事務局

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